2012年のアートコラム
【今週の1点】平山郁夫「鄯善国妃子<楼蘭の王女>」
2012.12.27
楼蘭は、中央アジアのロプノール湖畔(現在の中国領新疆ウイグル自治区)に実際に存在したとされる都市で、紀元前400年頃になんらかの理由で都市全体が放棄され廃墟となりました。
この作品は、楼蘭が放棄されるとき、移り去るのを嘆いた女王が、美しいオアシスの自国に留まり永遠に眠ることにしたという伝説に構想を得て、平山が実際に楼蘭を訪れることになる10年前の1976年に描かれました。
澄んだ星空の下、柔らかな月明かりに護られるようにして静かに横たわる女王は、まるでほのかに発光しているかのようで、大変に美しい幻想的な作品です。
1980年、楼蘭遺跡から中国新疆文物考古研究所により乙女のミイラが発見され「楼蘭の美女」と話題になりましたが、調査の結果、楼蘭王国よりはるか昔の約3800年前の女性のものと判明しました。
今週からスタート【今週の1点】第1回目は、山本丘人「寒の花」
2012.12.20
これからこのコラムでは毎週、現在展示中の作品を皆様にご紹介していきます。展示中の作品ですので、このコラムを読んで興味を持たれた方は、是非会場に足を運んで実物を見にいらしてください。
今回紹介する一作は、山本丘人による赤い寒椿を描いた「寒の花」、五山会第7回展での出品作です。
昭和63年より孔雀画廊にて杉山寧、高山辰雄、東山魁夷、西山英雄、山本丘人の五人の作家による「五山会」が開かれました(最終第8回展)。「五山会」の名前の由来は、この五人の名前に「山」の文字が入っていることからつけられています。
「寒椿の花にリズムを整えて画くことにする。葉の黒に対して燃える紅い花の曲。」(文・山本丘人)
赤い花弁が並んで咲いている様子は平然としていて作為がなく、花芯を愛しむように花びらを包み上げるその風姿には、何気ないようでいて朝露に濡れた潤いが感じられます。シンプルですが深みのある非常に丘人らしい花の名品となっています。
2点そろった時代の記録
2012.10.03
現在、当館で開催中の「文明を辿る旅」展では現代日本画の巨匠たちによるさまざまな民族や地域を描いた作品を展示しています。中でも平山郁夫による二つのバーミアンの大石仏像は今展のハイライトのひとつで、二つ並んで見ることが出来る大変貴重な機会です。
バーミアンは、アフガニスタンの首都・カブールの西方約240キロ、ヒンズークシ山脈中の渓谷に位置する小さな村で、かつては中央アジアとインド、ペルシャを結ぶ幹線路が交差する、シルクロードの重要な拠点でした。こうした歴史的、地理的条件を背景に、この地には古くから仏教が栄えました。7世紀、教典を求めてインドへ向かう旅の途中の玄奘三蔵がここを訪れたとき、僧徒は数千人を数え、石仏は金色燦然と輝いていたといわれています。しかし、バーミアン王国は1212年にジンギスカンにより滅ぼされます。そして、ジンギスカンは、攻略の際に寵臣であった若い指揮官が戦死した事を受け、報復として、あらゆる宮殿、僧院、石仏を破壊し尽したのです。
平山郁夫は1968年にこの地を訪れ、破壊の痕跡が残る石仏の姿に強い衝撃を受けて「バーミアンの大石仏」(成川美術館蔵)を描きました。それから34年後の2002年、かつて三蔵法師も拝顔したこの尊像は、タリバン政権下にこっぱみじんに跡形もなく爆破されてしまいました。このとき平山が抗議のために描いたのが「破壊されたバーミアン大石仏」(平山郁夫美術館蔵)です。画家はカブールで開かれたユネスコ主催の国際会議で、人々が二度と同じ過ちを繰り返さないよう、これを人類の「負の世界遺産」としてそのまま後世に残すよう、その復元に強く反対しました。
この2つのバーミアンの大石仏像は、2点揃った時代の記録によって、遥かなる平和への切実さを語りかけています。そしていまもなお戦乱がつづく中東紛争地を静かに告発しているのです。(写真右が「バーミアンの大石仏」、左が「破壊されたバーミアン大石仏」)
山本丘人が愛した「ニゴちゃん」
2012.06.27
現在、当館で開催中の「巨匠が描く動物たち」では、山本丘人の「正月元旦」を展示中です。夏なのにお正月の絵?と思われる人もいるかもしれません。しかし本作は風景画を描くことが多かった丘人の数少ない動物が主役の作品であり、それも自分の忠犬を描いた愛情あふれる一作なのです。
マルチーズとおぼしきこの白い犬の名前は「ニゴちゃん」といいます。その顔がちょっと人間的で不思議な愛嬌ある表情をしています。丘人はとてもよくこの座敷犬をかわいがり、犬も画人になついていました。お正月のお供えのお餅と並べていることからも丘人の愛犬への愛情が伝わってきます。そしてほぼ赤・黒・白の色調で統一された横長の画面構成は、今見てもちっとも古臭さを感じさせないとても瀟洒でモダンな作品です。
是非会場で画面を見ながらゆっくりと左右に歩いてみてください。きっと「ニゴちゃん」があなたの視線を追っていつまでも見続けていることでしょう。丘人と愛犬との親密さがあなたに乗り移ってしまう余韻深い名作だと思われます。(写真は山本丘人「正月元旦」)
2012年「日中国民交流友好年」認定!牛尾武『空海の空と海』展の意義
2012.03.23
現在当館で開催中の牛尾武『空海の空と海』展は、外務省の2012年「日中国民交流友好年」の認定行事に選ばれました。牛尾武の意義深い重要な仕事の重みが、公式に認められたことになります。
現代日本画家・牛尾武は、小説家・司馬遼太郎の名著『空海の風景』に触発されながら、空海の生きた時代と今日の風景とを繋げる絵画の冒険へと21世紀の幕開けとともに出発しました。
2004年に発表された第1回展では、若き日の空海の精神を育んだ色彩を生命の芽吹きの色ともいえる白緑にたとえて空海生誕の地である四国を描き、つづく2007年の第2回展では、入唐前夜、憧れの地・中国へ旅立つ空海の青春時代を群青にたとえて大陸への出発点となる九州を描きました。
2009年に発表された第3回展では、赤岸鎮へ漂着後、南船北馬の末、大都長安での充実の留学生活を送った空海の黄金時代の熱気を今に残す中国大陸が舞台になっています。
来年2013年には第4回展の拡大版となる京都・奈良編、2015年には最終展となる高野山編が予定されています。また、この『空海の空と海』展が完結したあかつきには、中国での展覧会と帰朝展を現在計画中です。
空海が日本に伝えた両界曼荼羅・密教は、中国本家ではその後途絶してしまい、チベット仏教(密教)以外は残っていません。真言(ことだま)の密教として独創的に発展させられた空海の純粋密教は、1200年余の時空を超えて、現代になってから中国大陸へと里帰りしています。
日本と中国の長い文化交流の記念碑である空海の業績を踏まえて、牛尾武がライフワークとして積み上げてきた風景画の数々には、画人の誠実な目と心とが投影され、澄んだ形と色彩に文化の香り高い日本絵画の願いが込められています。一衣帯水の両国の友好が、空と海に託されているのです。(写真は牛尾武「大唐渡海」)