中野嘉之の挑戦
2009.09.29
京都出身でいま箱根にアトリエを構える画家が、中野嘉之です。これは考えてみると貴重な要素です。なぜなら東京と京都という二つの中心軸を持って誕生したのが近代日本画だからです。古くは明治時代から、京都から東京に出てきた川端玉章、岐阜生まれで京都の四条円山派を学んでから東上した川合玉堂、横浜生まれで神戸に育った東山魁夷などがいます。
竹内栖鳳は、横山大観と東西を分けた京都派の大御所でありながら、その晩年には伊豆の湯河原に住みました。逆に横山大観や速水御舟のように東京の画家でありながら、京都で青年時代のある時期、絵画研究をした画家もいます。
戦後の京都出身の画人に麻田鷹司がいます。中野嘉之の恩師である加山又造や森田曠平も京都出身ですが、東京で仕事をしました。
極論すると、狩野派の漢画的(そして洋風画的)な素養と、円山派の写生の素養の二つが近代日本画の基礎でした。
思うに、そうした先人たちの挑戦の上に立って、新たに展開する二十一世紀の日本画を創造する作業が、中野嘉之の使命の一つです。
今回の「京都季行」展は、先の「箱根十景」展とともに、中野嘉之にとって具体的なエリアを想定した貴重な試みです。
千二百年を超える京都の佇まいを描いた今回の連作は、画家にとって新境地となる重要な挑戦です。これまでどこにも見せたことのない京都人・中野嘉之の素顔がその表現の背後にはあります。(画像は中野嘉之「東山送り火」)