城米彦造について
2009.06.30
〈僕が作った「詩」 僕自身で詩集にし、僕自身、賣ってゐるものです。よかったら買ってください。街頭詩人〉。そう書いたプラカードを胸に下げて、戦後の復興期に有楽町の街頭に立った男がいた。シルクハットを被った髭面の吟遊詩人画家は、あたかもチャップリンのごとき姿で、托鉢僧よろしくガード下に立ちつづけた。
武者小路実篤に心酔した「新しき村」の実践者・城米彦造は、サンドイッチマンのように自分自身の姿を世間にさらしながら、夢を追い続けた。家族とともに霞を食べて耐え、戦後の文化国家を支えつづけた民間の稀有な存在だった。
現代の円空や木喰のごとく、貧しくとも、清く、美しい瞳と心を持った筋金入りの一生であった。善意のみを信じた生涯だったといえよう。102歳の天寿を全うして、さる2006年に静かに息を引き取ったその平凡なる巨姿は、希代の赤裸々人生の一貫性という名の非凡なる生涯だったといっていい。
城米の淡彩スケッチは、いま振り返ると、同時代と鋭く対峙した記録である。そのスケッチの中には、時代が置き去りにしていった人間の匂いが満々とたたえられている。
近年、昭和30年代が見直されたが、それ以前からの戦後の庶民史が、城米の絵と詩には刻まれている。西岸良平の「三丁目の夕日」が映画化されたように、城米のノスタルジックな世界ももう一度かみしめたい。そこには戦後出立の頃の赤心の痕跡がある。(H・S)