齋 正機〈福島鉄道物語〉第1話 夕日の飯坂線
2022.01.28
絵を描く感覚は不思議だ。
長い間、描いているけれど・・一向に手慣れない。 (全く、プロとしてどうなんだろう)と思う。これでも高校時代から画家を志し研鑽を積んできた。 大学時代から二十年間は、日本画を描きながら美大受験生を教え、四十歳で日本画に専念した。画業専念してからも十年以上が経っている。
「絵は手慣れたらおしまいだよ!」と画商さんから言われることもあるけれど、さすがに僕の段取りや要領の悪さは始末に負えない。
今日は朝から新作のため、下図を(ああでもない、こうでもない)とスケッチブックに鉛筆の線を遊ばせている。でも頭の中のどこかが、すでに白旗を挙げていて集中力が消え失せていた。
そこで、唯一の趣味であるコーヒーを淹れ始める。
鉄道を描く
豆を挽いていると、スマホが遠慮がちに揺れた。(見覚えのない番号だ)と思い、少しだけ丁寧に出てみる。
「齋先生、 先生は鉄道を描きますよね。銚子電鉄を描いてみませんか?」と老紳士の柔和な声がした。
「銚子電鉄ですか?」 とあまりにも話が唐突だったので、少し驚いてしまった。それから、老紳士は銚子電鉄の魅力を僕に鼻息荒く話した。
「まだ一度も取材をしたことがないので、すぐには・・でも興味はあります。」とやんわりとお断りし、僕は電話を切った。
(スケッチだったら描けるけど、思い入れがないと、日本画にするのは難しいなぁ!モチベーションがなければ良い絵にもならないし)そんなことを考えながら、先程挽いたコーヒー豆に細口のポットでお湯をそそぎ始めた。
( 福島交通 飯坂線ならねぇ・・)
飯坂線は福島駅と飯坂温泉駅を結ぶ約九キロ、全十二駅のローカル線である。 僕はここで生まれ育った。今では住宅や建物が多くなったものの、昭和の頃は沿線に果樹園や広大な田んぼがありローカル線らしさは今よりあった。幼稚園の通園、小学校の遠足、市街への買い物、あらゆる意味で慣れ親しんだ鉄道である。
( それどころか、人生の節目は必ず飯坂線だったな・・)
そう、二十歳で美術系予備校に行くため福島を離れ、東京に出発する時も飯坂線の思い出がある。
福島を離れるその日、右手と左手に一つずつボストンバック持って 岩代清水駅のホームに立っていた。僕は、東京で生活する不安と三浪もすることになった情けなさで一人うな垂れている。
(このまま二度と帰って来れないかもなぁ)
追い詰められた心に、 岩代清水駅のホームの前に広がる馴染深い田んぼと飯坂電車だけがエールを送ってくれた。
いろいろ思い出していたら、せっかく入れたコーヒーを飲み忘れている。
ゆっくりと口に含むと、(あ、あの紅い夕焼け風景、上松川橋を渡る飯坂電車・・)今度は忘れていた奥の方の記憶が急に押し出されてきた。
それは晩秋の小学校五年生の時である。
その頃は自転車で約三十分も掛かる松川グランドで遊ぶことが流行っていた。校庭よりも広く、気持ちよく野球ができたからだ。
ただ問題があった。時計がない、そして楽しすぎて時間を忘れてしまうことだった。
誰も腕時計もなく、空の明るさで時間を推測する。記憶に残るその日は、快晴で、空気が澄み切って遠くまで見渡せた。
永遠に遊んでいられるような明るさを持っている奇妙な日だった。母との約束時間は五時半だったが、野球に夢中になり過ぎて、約束時間をかなり過ぎてしまったのだ。
(また怒られるなぁ!)と僕は途方にくれる。
真っ赤な風景
川沿いのサイクリングロードを母の怒った顔を想い浮かべながら、
少しでも早く帰ろうと自転車のペダルを全力で漕いでいる。
そして上松川橋に来たあたりで、急に電車の警笛音が響いた。その音に驚いて顔を上げると、目前は真っ赤な夕景だった。
「すごい、赤い・・!」思わず声が出た。
松川まで赤く染まり、空の赤色は透き通っている。涙が出るぐらいの無垢な情景だ。ペダルを漕ぐ足を止めて、夕日の世界に走る飯坂電車と家路に急ぐ人々を眺めると
神秘的な気持ちでいっぱいになった。
(こんなすごい世界を絵にできたら・・)と小学五年生の僕は思った。そして(いつか絶対絵にしよう)と心に誓ったのだ。
それから、その情景を心に刻むように眺めた。
その日、帰ってから母に叱られたかどうかは覚えていない・・ただ、あの夕焼けの上松川橋は、もしかしたら絵描きになろうとした出発点になる情景だったような気がしてきた。四十年以上忘れていたのは、この美しさを絵にすることが本能的に時期尚早と思ったためだろう。
(そうか・・あの記憶を日本画にする時が来たんだな・・記憶の引き出しを開けてくれた老紳士に感謝、あの眠っていた赤い色彩まで蘇らせてくれたのだから)と一人うなずいた。
記憶の封印は解けた。 あの飯坂線の夕焼けの色のイメージがこれだけ鮮明なら、下図も夕方には終わるだろう。
カップに半分ほど残っているコーヒーを口に運ぶと、もうかなりぬるい。
苦みはあるものの、味が落ち着いてまろやかになっていた。
(画像:齋正機「紅イ橋」2015年 成川美術館蔵)